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決して安い買い物ではないM&A。
仲介会社やFA、DD専門家に支払う費用やM&A取引に費やした人員・時間などを考えると、当然買い手はM&Aを成功させたいと考えます。
それにも関わらず、M&Aを実施した後、「やはり買収価格が高すぎたかも…」という事態は頻繁に発生してしまいます。
このようなM&Aにおける高値づかみは、どのような理由で起こってしまうのでしょうか?
今回は、マルチプル法を軸に、M&Aにおいて高値づかみが生じる理由とポイントにつき、検討していきます。
《執筆者》
PEファンド・M&Aアドバイザリーの実務経験があるSOGOTCHA(ソガッチャ)スタッフが執筆しました。
なぜM&Aで高値づかみしてしまうのか?マルチプル法から考える
M&Aにおける高値づかみの要因につき、マルチプル法を軸に検討していきます。
なお、今回取り上げるマルチプル法は、M&Aの株式価値の算定で最も一般的であるEV/EBITDAマルチプル法を前提としている点、ご留意ください。
今回は、上図のテーマに沿って検討していきます。
マルチプル法と株式価値の関係
まず、マルチプル法による株式価値の算出方法につき、簡単に確認します。
ここでは、以下の2点について検討していきます。
- マルチプル法による株式価値の算出
- マルチプル法における高値づかみの要因
では、個別に見ていきましょう。
マルチプル法による株式価値の算出
今回取り上げるマルチプル法であるEV/EBITDAマルチプル法では、以下の4つのステップに従って、株式価値が算出されます。
- ①EBITDAとマルチプルによる事業価値(EV)の算出
まず、対象会社のEBITDAと類似会社から算定したマルチプルを用いて、対象会社の事業価値(EV)を算出します。 - ②現預金等の加算
次に、事業価値(EV)に対象会社の現預金等を加算します。 - ③有利子負債の減算
続いて、事業価値(EV)と現預金等の合計額から、対象会社の有利子負債を減算します。 - ④株式価値の算出
結果として、対象会社の株式価値が算出されます。
マルチプル法における高値づかみの要因
では、今回のテーマである高値づかみの要因につき、マルチプル法の計算式に当てはめて整理していきます。
高値づかみとは、マルチプル法による計算結果である株式価値を過大に見積もってしまったこととします。マルチプル法の計算式に基づくと、株式価値を過大に算出していまう要因として、以下の4点が挙げられます。
- EBITDAを過大に見積もってしまったこと
- マルチプルを過大に見積もってしまったこと
- 現預金等を過大に見積もってしまったこと
- 有利子負債等を過少に見積もってしまったこと
以下では、これら4つの見積もりの誤りがどのような原因で生じるのか、個別に検討していきましょう。
高値づかみの要因① EBITDAの過大見積もり
まず、高値づかみの要因の1つ目として、EBITDAの過大見積もりにつき、検討していきます。
この点については、主に以下の4点に細分化することができます。
- 過去の実績値に対する過大見積もり
(1)粉飾
(2)直近決算期(前期)と進行期(今期)の差異 - 将来の見通しに対する過大見積もり
(3)業績
(4)シナジー効果
4つの要因は、大きく2つに分けることができます。
前者は過去の実績値に対する過大見積もりです。
後者は、将来の見通しに対する過大見積もりです。
以下、これらの4点につき、個別に検討していきます。
EBITDA過大見積もりの要因(1)粉飾
EBITDAの過大見積もりの要因の1つ目として、粉飾が挙げられます。
M&Aの実施に際しては、程度の差はあるものの、買収監査(DD)が実施されるのが一般的です。
DDの一環として、公認会計士や税理士などのDD専門家が財務DDを実施する場合、通常は粉飾決算は把握されるため、M&Aの取引前に対応を協議することができます。
一方、DD専門家による財務DDを実施しない場合、粉飾決算を見逃し、M&Aを実施してしまうケースがあります。
このような場合、粉飾決算によって過大に計上されたEBITDAに基づいて株式価値を算定してしまうため、結果として高値づかみをしてしまうリスクがあります。
EBITDA過大見積もりの要因(2)直近決算期(前期)と進行期(今期)の差異
次に、EBITDAの過大見積もりの要因の2つ目として、直近決算期(前期)と進行期(今期)の差異が挙げられます。
M&Aの価格の検討に際しては、直近決算期(前期)の数値が最も重要視されるのが一般的です。
一方、進行期(今期)の数値については、月次試算表などに基づいて把握されます。
ここでよく起こりがちなのが、進行期(今期)の数値を十分に検討することなく、将来のEBITDAを見積もってしまうことです。
例えば、以下のようなケースが考えられます。
- 進行期(今期)になってから、主要顧客の一部を失い、売上高が減少していたにも関わらず、見逃していた。
- 進行期(今期)になってから、人件費の増加によりコストが増加していたにも関わらず、見逃していた。
このようなEBITDAの減少要因を考慮していない場合、EBITDAを過大に見積もってしまい、結果として、株式価値を過大に見積もってしまうことになります。
以上の2つは、EBITDAの過去の実績値に対する過大見積もりでした。
以下の2つは、EBITDAの将来の見通しに対する過大見積もりになります。
EBITDA過大見積もりの要因(3)業績
EBITDAの過大見積もりの要因の3つ目として、対象会社の業績の将来見通しに対する過大見積もりが挙げられます。
例えば、過去3期のEBITDAの平均値を、将来のEBITDA水準として見込んでいたにも関わらず、M&Aの実施後の競争環境の激化や競合他社の新製品投入などの影響により、EBITDAの水準が低下した場合などが考えられます。
このような場合、当初想定していたEBITDAは、実際のEBITDAに比べて過大に見積もっていたことになり、結果として高値づかみの要因となります。
業績の将来見通しは非常に難しい点ではありますが、M&Aの価格だけでなく、M&Aの成否にもつながるものであるため、慎重な検討が必要になります。
EBITDA過大見積もりの要因(4)シナジー効果
次に、EBITDAの過大見積もりの要因の4つ目として、シナジー効果の将来見通しに対する過大見積もりが挙げられます。
買い手は、シナジー効果も考慮したEBITDAで、株式価値を算出していたとします。
シナジー効果の具体例としては、以下のようなものが考えられます。
- 売上高シナジー
買い手と対象会社との間のクロスセルや製品ラインナップの強化により、売上高の増加を見込んでいた。
- コストシナジー
共同仕入のボリュームディスカウントにより、コストの削減を見込んでいた。
このようなシナジー効果を十分に実現することができず、EBITDAは当初想定した水準にまで増加しなかった場合、EBITDAを過大に見積もっていたことになり、結果として高値づかみの要因となり得ます。
以上が、高値づかみの要因①EBITDAの過大見積もりの概要です。
高値づかみの要因② マルチプルの過大見積もり
次に、高値づかみの要因②マルチプルの過大見積もりについてです。
マルチプルを過大に見積もる要因として、主に2つ考えられます。
- (1)類似会社の選定の誤り
- (2)マルチプルの計算時期の誤り
以下、個別に検討していきましょう。
マルチプル過大見積もりの要因(1)類似会社の選定の誤り
まず、マルチプルの過大見積もりの要因として、類似会社の選定の誤りが挙げられます。
マルチプルの計算に当たっては、対象会社と類似する上場会社(類似会社)の指標を利用します。EV/EBITDAマルチプル法においては、類似会社から計算されるEV/EBITDAマルチプルを利用します。
ここで、実務上問題になりがちなのが、類似会社の選定です。
対象会社と類似する上場会社がない、もしくは1・2社しかないというケースは、よくあります。このような場合、対象会社と同じ業界の上場会社まで範囲を広げ、類似会社を選定するケースがあります。
こうすることで、一定のマルチプルを計算することはできますが、対象会社と類似会社との類似性が低下している場合、本来あるべきマルチプルに比べ、不適当なマルチプルと言えます。
当該マルチプルが、本来あるべきマルチプルの水準より高い場合、マルチプルを過大に見積もっていることになり、結果として株式価値も高めに算出してしまうことになります。
マルチプル過大見積もりの要因(2)マルチプルの計算時期の誤り
次に、マルチプルの過大見積もりの要因として、マルチプルの計算時期の誤りが挙げられます。
マルチプルは、上場会社である類似会社の市場指標を参照して算出されるため、株式市場の影響を受けます。具体的には、EV/EBITDAマルチプルの場合、類似会社の株式時価総額が計算要素に含まれており、こちらの指標が株式市場の影響を受けます。
株式市場が安定している平常時であれば特段問題とはなりませんが、何らかの事情で相場が大幅に変動している特殊な市場環境の場合、その環境下で計算されるマルチプルが適切な水準であるかは、慎重な判断が必要です。
特に、一過性の要因で株価が高騰している場合、マルチプルの水準が、本来あるべき水準よりも、一時的に高くなっている可能性があります。そのようなマルチプルに基づいて計算される株式価値は、本来の水準よりも高くなっており、結果として高値づかみとなる可能性がある点、留意が必要です。
以上が、高値づかみの要因②マルチプルの過大見積もりの概要です。
高値づかみの要因③ 現預金等の過大見積もり
続いて、高値づかみの要因③現預金等の過大見積もりについてです。
非事業用資産を指す現預金等が過大に見積もられる要因として、主に次の3点が挙げられます。
- 現金化可能性の誤り
(1)事業上の利用があり、現金化できない
(2)事業上は利用していないが、現金化できない - 現金化可能額の過大見積もり
(3)現金化可能額の誤り
(4)時価の変動
前の2つは、そもそも現金化の可能性についての認識が誤っており、現金化できないものです。
後の2つは、現金化はできるものの、その金額についての認識が誤っていたものです。
以下、個別に検討していきます。
現預金等の過大見積もりの要因(1)事業上の利用があり、現金化できない
まず、現預金等の過大見積もりの要因の1つ目は、事業上の利用があり、現金化できないケースについてです。
例えば、一部の車両については事業上利用していない遊休資産に該当していたため、売却を想定していたものの、M&A前後の取引が増加し、営業車両として利用する必要が出てきたため、売却できないケースなどが考えられます。
このような場合、一部の車両の売却金額を現預金等に折り込んでいたとすると、現預金等の過大見積もりとなり、株式価値を高値で評価してしまうことになります。
現預金等の過大見積もりの要因(2)事業上は利用していないが、現金化できない
現預金等の過大見積もりの要因の2つ目は、事業上は利用していないが、現金化できないケースについてです。
例えば、一部の車両につき、事業上利用していないため、売却による現金化を想定していたものの、整備不良などの瑕疵があり、売却できないというケースも起こり得ます。
このような場合、前述のケースと同様、一部の車両の売却金額を現預金等に折り込んでいたとすると、現預金等の過大見積もりとなり、株式価値を高値で評価してしまうことになります。
以上の2つは、そもそも現金化の可能性についての認識が誤っており、現金化できないものです。
次の2つは、現金化はできるものの、その金額についての認識が誤っていたものになります。
現預金等の過大見積もりの要因(3)現金化可能額の誤り
現預金等の過大見積もりの要因の3つ目は、現金化可能額の誤りです。
例えば、事業で使用していない一部の車両につき、中古車相場の状況を踏まえ、100万円での売却を見込んでいたところ、何らかの理由により、実際には50万円でしか売却できなかったようなケースが挙げられます。
このような場合、車両の売却金額を100万円として現預金等に折り込んでいたとすると、現預金等の過大見積もりとなり、株式を高値づかみしてしまうことになります。
現預金等の過大見積もりの要因(4)時価の変動
次に、現預金等の過大見積もりの要因の4つ目は、時価の変動です。
例えば、非事業用資産として上場会社の有価証券などを保有している場合が典型例となります。元々、一定の時価での売却を見込んでいたところ、M&Aの直後に株式市場が急落し、時価が大きく下がった場合などが考えられます。
このような場合、一定の時価での有価証券の売却を前提に現預金等を見積もっていたとすると、現預金等の過大見積もりとなり、株式価値を高値で見積もっていたことになります。
以上が、現預金等の過大見積もりの要因です。
高値づかみの要因④ 有利子負債等の過少見積もり
次に、高値づかみの要因④有利子負債等の過少見積もりにつき、見ていきましょう。
有利子負債等の過少見積もりの要因として、大きく2つ挙げられます。
- (1)有利子負債等の未認識
- (2)有利子負債等の金額の過少見積もり
前者の「有利子負債等の未認識」は、本来有利子負債等に含めるべき項目につき認識せず、結果として有利子負債等を過少に見積もってしまうケースを指します。
後者の「有利子負債等の金額の過少見積もり」は、有利子負債等に含めるべき項目については認識しているものの、その金額を過少に見積もってしまうケースを指します。
以下、個別に見ていきましょう。
有利子負債等の過少見積もりの要因(1)有利子負債等の未認識
有利子負債等の過少見積もりの要因の1つ目として、有利子負債等の未認識が挙げられます。すなわち、本来有利子負債等として考慮し、事業価値(EV)から控除すべき項目であるにも関わらず、認識することができなかった項目が挙げられます。
実務上よく議論になる項目としては、以下のようなものが挙げられます。
- 未払残業代
- 退職給付引当金
- 偶発債務
例えば、未払残業代については、M&Aの実施後、当局が検査に入った場合などに発覚するケースがあります。未払残業代については、本来的には有利子負債等に考慮すべき項目になります。
また、中小企業の場合、退職給付引当金を積み立てているケースは少なく、社内の退職金規定などから計算される退職金相当額については、本来的には有利子負債等に含めるべきです。
続いて、偶発債務として、製品などに関する訴訟に伴う債務などが挙げられます。DDの過程で係争中の訴訟などが判明した場合、敗訴した場合の負担額を試算し、有利子負債等として考慮する必要があります。
これらのようなオフバランス項目については、買い手側が認識することなく、M&Aを実施してしまうリスクがあります。
そのような場合、有利子負債等を過少に見積もったこととなり、結果として株式価値を高値でつかんでしまうことになります。
有利子負債等の過少見積もりの要因(2)有利子負債等の金額の過少見積もり
有利子負債等の過少見積もりの要因の2つ目として、有利子負債等の金額の過少見積もりが挙げられます。
こちらは、未払残業代や退職給付引当金など、一定の項目につき有利子負債等に考慮する必要があることは認識しているものの、その金額を過少に見積もってしまったケースになります。
例えば、未払残業代につき認識しており、一定額を有利子負債等に考慮した上で株式価値を決定していたものの、実際に当局が検査に来た際に指摘された金額が、当初の想定額を超えているようなケースです。
特に、未払残業代や訴訟債務など、金額が不確定なものについては、どうしても一定の想定値とせざるを得ず、検討が難しい面があります。
まとめ
以上、今回は以下のテーマに従って、EV/EBITDAマルチプル法の考え方を軸に、高値づかみの要因を整理しました。
これからM&Aを実施される方は、価格の検討に際して、EV/EBITDAマルチプル法の考え方を前提とすると、どの計算要素にストレスがかかっているのかを考えつつ、価格検討・交渉を行っていただければと思います。
また、すでにM&Aを実施しており、高値づかみをしてしまったかもと思われている方は、価格の決定要因をEV/EBITDAマルチプル法の各要素に分解し、高値づかみとなってしまった要因はどこにあったのか、検証に役立てて頂けばと思います。
以上、今回はM&Aで高値づかみをしてしまう要因につき、マルチプル法を軸に整理しました。